20代で死ぬOLの哲学

20代で死ぬことにした普通のOLが時に明るく時に陰湿に日々の記録やひん曲がった哲学を残します。2019〜

なんのために

 

月火水木金

 

未来への不安を抱えながら

評価もされず

人として思い合うことのない場へ通い

何時間も働く

 

帰ったら栄養補給の夕食と

身なりをきれいにするために入浴

 

少しの余暇を楽しんだら

明日のために早く寝る

 

月火水木金

 

そしたら束の間の土日がやってきて

 

待ちに待った休みなのに

 

体も疲れているし

また二日後には始まる仕事に怯え

家から出もせず

誰とも喋らず

ゲームして

時間を無駄にして過ごし

あっという間にまた月火水木金

 

 

わたし

なんのために生きているんだろう

 

生きるためだけに働いて

お休みも楽しくもなくて

 

ただ酸素とエネルギーを消費してるだけ

 

幸せじゃないし

誰かを幸せにもできないし

 

こんなんだったら

生きてる意味ない

 

死んだほうがマシだなぁって

 

 

これまでの人生が楽しすぎたんだな

 

 

 

生きてたら楽しいことがきっとある

 

 

そりゃ

この先楽しいことが0だなんて思ってない

 

 

けど割合が99.9:0.1くらいの人生

 

99.9はつらい、つまらないの人生

 

 

その0.1だって危ういのに

 

頑張れないよね〜

 

 

 

うーん

 

あと10日で決めてしまうのもありかもな

 

当初の予定通りだ

 

松明の先に

 

 

約束の時は過ぎた。

 

私はまだ、生きながらえている。

 

 

この5年、あと5年を希望にして駆け抜けてきたから、そのゴールを越してしまった今、また終わりのない暗闇に迷い込んでしまった、そんな感覚。

 

 

実際は終わりがどこかにあるので、どこにあるかわからないという意味で厳密には「終わりの見えない暗闇」が正しいかもしれない。

 

だからこそ終わりという希望の松明をその出口に立てて駆け抜けてきたのだが、出口を出口にできなかったので今こうして困り果てている。

 

 

 

 

やり残したことはなんだろうか。

 

 

 

 

もう、かなり、やりたいことはやってきた。

 

 

 

強いていうなら

天の川とオーロラが見たい。

 

あとは猫を飼いたい。

 

 

それ以外はもうどうでもいい。

 

 

どうでもいい中にも未来への光は小さいながらあって、例えばあの作品の終わりを見たいとか、開催されるツアーに行きたいとか。

 

そういうのの小さな連続で、そこまでは生きようという目標になっている。

 

けれどそれらは絶対ではない。

 

 

とても危うい、松明なのである。

 

 

 

できれば叶えたい夢の「猫を飼う」は、15年くらいは責任を持って幸せにしてあげなければならない。

 

下手したら他を全て捨て置いて、全力をかけてそうすることになる。

 

 

例えば猫のための家に住むなら私の趣味のものは捨てたり、旅行もある程度諦めたり、経済的にも友人との会合を減らしたり。

 

 

一時的にはもちろん構わないのだが、その状態で10年20年、心穏やかに生きられるのだろうか。

 

 

10年20年って、短いようで長い。

 

 

 

 

 

とても、ながい。

 

変わらないもの

 

年が明けるたび

 

季節が巡るたび

 

日が暮れるたび

 

秒針が刻まれるたび

 

鼓動が脈打つたび

 

進めば進むほど、

なりたくなかったモノに近づいている

 

そんな感覚

 

 

自分自身、見た目もそうであり

心もそうであり

自分だけにとどまらず

周囲の、大切な人たちもそう

 

 

変わっていく

 

 

変わらないでいて欲しいと願っても

残酷なまでに

 

 

今から1ミリも変わってほしくないのに

 

そんなこと叶わないのに

 

 

これ以上の変化を阻止するには

やっぱり時を止めるしか

方法はない

 

 

願いを叶えるための

最良の手段なんだなぁと

 

 

あと165日。

 

約束はそこにはない

 

 

2024年10月

 

彗星が地球に近づく。

 

 

けれど

その前に消滅してしまうかもしれない。

 

 

 

まるで私のようだと思った。

 

 

 

私はきっと

その彗星に出会えない。

 

 

いや

 

 

私はきっと、彗星になる。

 

 

彗星になって、

夜空を走るかもしれないし、

その前に消滅してしまうかもしれない。

 

 

 

2024年の秋の夜空に

にじんでゆく光のグラデーションがあれば

それはきっと私。

 

 

 

消えないでいられたら

見つけてくれるといいな。

 

 

 

 

どうか会えるうちに会いたい人に

 

最後に思いを残した日から随分と長い月日が経った。

 

想い変わらず。

いや、変わった想いもある。

 

家族へのそれ。

 

なんとなく感じていた、遠くない未来に立ちはだかると確信していた、家族の不調。

 

それがまさに去年の7月。

 

その前から家族問題が沸々と湧き上がっていたというのに、そこへ拍車をかけるようにそれはやってきた。

 

 

前はあれほど家族が大切で、母親も姉達も同じくらい大切で、悲しませたくないと思っていた。

 

それが今となっては、姉達と早く縁を切りたいとさえ思っている。できるならもう関わりたくない。

 

親に対しては、今も悲しい思いはさせたくないと考えている。

 

それでも、それよりも、親のことで悲しい思いを自分がしたくないので、本当はいますぐどこか遠くへ行きたいと願っている。

 

 

それが物理的にどこか遠い地なのかもしれないし、世界の向こう側なのかもしれない。

 

 

世界の向こう側への片道切符はあと390日で切ることになっている。

 

ただ、以前会った友人が、とある友人が自殺をした際、それが直近で会った人であればあるほど、悲しい気持ちになると話していた。

 

 

それを聞いて、わたしに余裕があるのなら、そりゃできれば周囲の人間を悲しませたくはないので、世界の向こう側への旅をする1年前から、なるべく人と会うのはやめようと思った。

 

 

そう考えると、あと24日足らずで私は人との関わりを断たねばならない。

 

完全に断つのは難しいにせよ、不用意に会わない。

 

そう考え始めた去年の11月。

そこから会う人は大体、これが最後になっても良いと思いながら会っていた。

心の中でひそかに感謝を告げて別れた。

 

 

だいたいの会いたい人には会えたと思う。

 

 

ひとり、大学時代の友人に会えていない。

会ってしまうと、たぶん、弱さが露呈して泣いてしまうかもしれないし、彼女の幸福さに目が眩んで影を落としてしまうかもしれない。

 

さらにその子は春に2人目を出産する。

 

そんな大変な時期に、どちらの結果になっても迷惑しかかけない。

 

だから、会えない。

連絡もとれなかった。

 

 

彼女からしたら、たぶん感じ悪かったと思う。もうわたしに連絡もよこさなくなった。

 

 

ごめんね、本当は好きなんだ。

でもそれこそ今会ってしまうと、正義感の強い彼女はわたしが世界の向こう側へ旅立ったことについて自分を責めてしまうかもしれない。とにかく悲しい思いをさせるに違いない。

 

 

だからもう、いっそ嫌ってくれていい。

 

 

ありがとう、さようなら。

 

 

 

まだ

生きたい理由はないし、

死なない理由もない。

 

生きたくない理由なら増えた。

 

 

着実に、片道切符の有効性が強くなっている。

 

 

 

 

理由

 

生きてる理由なんてない

だけど死にたくもない

そうして今日をやり過ごしてる

 

 

ほんとうにそのとおり

 

でも

 

生きたい理由なんてないし

死にたい理由もないけど

死ねない理由はなくて

生きたくない理由なら、ある

 

 

それだけで十分、ね

 

 

 

生きたい理由か

死ねない理由か

どちらかがあれば

きっと人生は動き続ける

 

 

どちらが大事かな?

どちらかに出会えるかな?

 

あと90週。

 

呪いの言葉

 

敬愛するバンドが

軽々しく「生きろ」と言ってくる。

 

軽々しく、は語弊か。

力強く、無責任に、が正しい。

 

 

今日、久しい友人に会った。

とても泣いていた。

彼女が幸せであってほしいと願う。

 

私は彼女が好きだ。

彼女も私が好きだ。

それはわかる。

けど、彼女には好きな人がたくさんいる。

 

彼女にとって私は

多くの好きな人の1人。

私の代わりはたくさんいる。

 

そんな彼女から別れ際、

「長生きしてね」と言われた。

 

 

私は答えない。

答えないが、「あなたもね」とだけ伝えた。

 

 

普段の私なら未来の想像なんてしない。

彼女にとって私の代わりはいるのだから

なおさらだ。

 

でも、その時、

弱った彼女の目の前にいたのは私だ。

だから、

「おばあちゃんになっても話そうね」と、

遠い未来で一緒にいようと

めずらしく約束をした。

 

 

彼女と別れ、1人帰路を急ぐ。

 

「長生きしてね」

「おばあちゃんになっても」

 

 

 

 

それはまるで呪いの言葉のように思えた。