どうか会えるうちに会いたい人に
最後に思いを残した日から随分と長い月日が経った。
想い変わらず。
いや、変わった想いもある。
家族へのそれ。
なんとなく感じていた、遠くない未来に立ちはだかると確信していた、家族の不調。
それがまさに去年の7月。
その前から家族問題が沸々と湧き上がっていたというのに、そこへ拍車をかけるようにそれはやってきた。
前はあれほど家族が大切で、母親も姉達も同じくらい大切で、悲しませたくないと思っていた。
それが今となっては、姉達と早く縁を切りたいとさえ思っている。できるならもう関わりたくない。
親に対しては、今も悲しい思いはさせたくないと考えている。
それでも、それよりも、親のことで悲しい思いを自分がしたくないので、本当はいますぐどこか遠くへ行きたいと願っている。
それが物理的にどこか遠い地なのかもしれないし、世界の向こう側なのかもしれない。
世界の向こう側への片道切符はあと390日で切ることになっている。
ただ、以前会った友人が、とある友人が自殺をした際、それが直近で会った人であればあるほど、悲しい気持ちになると話していた。
それを聞いて、わたしに余裕があるのなら、そりゃできれば周囲の人間を悲しませたくはないので、世界の向こう側への旅をする1年前から、なるべく人と会うのはやめようと思った。
そう考えると、あと24日足らずで私は人との関わりを断たねばならない。
完全に断つのは難しいにせよ、不用意に会わない。
そう考え始めた去年の11月。
そこから会う人は大体、これが最後になっても良いと思いながら会っていた。
心の中でひそかに感謝を告げて別れた。
だいたいの会いたい人には会えたと思う。
ひとり、大学時代の友人に会えていない。
会ってしまうと、たぶん、弱さが露呈して泣いてしまうかもしれないし、彼女の幸福さに目が眩んで影を落としてしまうかもしれない。
さらにその子は春に2人目を出産する。
そんな大変な時期に、どちらの結果になっても迷惑しかかけない。
だから、会えない。
連絡もとれなかった。
彼女からしたら、たぶん感じ悪かったと思う。もうわたしに連絡もよこさなくなった。
ごめんね、本当は好きなんだ。
でもそれこそ今会ってしまうと、正義感の強い彼女はわたしが世界の向こう側へ旅立ったことについて自分を責めてしまうかもしれない。とにかく悲しい思いをさせるに違いない。
だからもう、いっそ嫌ってくれていい。
ありがとう、さようなら。
まだ
生きたい理由はないし、
死なない理由もない。
生きたくない理由なら増えた。
着実に、片道切符の有効性が強くなっている。