20代で死ぬOLの哲学

20代で死ぬことにした普通のOLが時に明るく時に陰湿に日々の記録やひん曲がった哲学を残します。2019〜

少しの居場所を譲ってくれてありがとう

 

最近てんでだめだ。

 

 

苦しい

悲しい

 

何が悲しいのかわからない。

 

 

ただぼんやり

早くハッピーエンドを迎えたいと

そう考えるばかり。

 

大人しくしてれば

あと2回の年越しを経験すれば

その日はすぐやってくるのだけれど

それまでがつらくて仕方ない。

 

 

今日会った友人が

「将来バーを開くのが夢。

そこで、10年後とかにみんなで集まりたい。

みんなじゃなくても

お前(私)が1人でも来てくれて

『あいつがちょうど1週間前に来たよ!』

って、そんな話をできたらいいな。」

と話していた。

 

 

ついこの前の春先には

友人たちとバカみたいに笑って

そしたら友人の1人が

「10年後も、おばあちゃんになっても

こんなふうに集まって笑いたいな」

と、そんなことを言った。

 

 

 

未来の話を当たり前にされると

戸惑ってしまう。

ましてやその未来に自分がいることになると

さらに戸惑い、首を傾げ、

決まって泣きそうになる。

 

 

その未来におそらく私はいない。

 

 

 

その場のノリで

いつまでもこうしてようねって

ただ話しただけで

特に何の意味もなく

本気で言ってるわけじゃないだろうけど

 

それだとしても

冗談でも、一瞬でも

未来に私の居場所をくれて

ありがとう、と泣きそうになる。

 

 

そこに私はいられないけど

いられたらいいのになぁと

少し思うようになる。

 

 

がんばるね。

ありがとう。

 

 

 

だが、

美瑛の下見をいつにしようか

心は泣きながら考えている。