20代で死ぬOLの哲学

20代で死ぬことにした普通のOLが時に明るく時に陰湿に日々の記録やひん曲がった哲学を残します。2019〜

ぷっつん

 

年明けからここまでは気持ち頑張ってたけど

ここにきてまた突然来る、ぷっつん

 

 

どうでもいいねー

どうとでもなれー

 

 

姉から家族LINEで結婚する予定ないの?と聞かれる。予定もするつもりもないよと意を決して答える。それ以上もそれ以下も伝えない。

 

 

姉よ、妹はあと1081日でこの世を去るのだよ。だから結婚だなんてするわけなかろう。だなんてことは姉は知る由もない。

 

 

まだ1000日以上あんのかい。

 

長いわ。

 

 

 

とある件で、じぶんの悪いところを考えてる。いっぱい出てくる。

 

 

ゴミ人間だな〜。

 

再検査

 

会社の健康診断

 

去年は要観察だった項目が

今年は再検査になってしまった

 

 

再検査しないといけないっていう

面倒くささはあるけど

少し嬉しく思ってしまった自分がいる

 

 

 

再検査ということは、少なくとも健康ではない

 

健康ではないということは

少しずつ、死に近づいているのだ

 

 

 

1000日を切ろうとしている寿命も

自分で絶つよりは

あらがえない運命で消えた方がいい

 

 

だから今回の再検査は

どこか嬉しいのだ

 

 

 

とはいえ、

痛いのとか辛いのとかは嫌なので

毎日体調が悪いのがこれのせいなら

治したいなと思うのも本当だ

 

死の匂い

 

そういえば昔から

 

自分はきっと長生きしない

病気になってしまうか

自殺してしまって

若いうちに死ぬんだろうなぁって

 

なんとなく、ぼんやり、思ってたな

 

 

 

嫌なことのカケラもない頃だったけど

幼いながら、そんな死の匂いを感じてたな

 

 

 

「とか言って長生きするんだろうけど!」

 

くらいにとどめてたけど

 

 

 

まさか冗談で済まない未来が待ってるだなんて

昔の自分が聞いたらびっくりするだろうな

 

 

 

預言者だ!ってね

 

嫌われる前に

 

 

昔から

 

自分で孤立するきらいがあった

 

 

それはきっと

あ、嫌われたわって少しでも思った時に

自分から離れてくようなものだった

 

 

嫌われる前に嫌ってしまえと

 

 

 

今も、何も変わらない

 

 

 

予定を断られた友人のことを

もういいやと思いかけている

 

 

自分以外きっともうすぐ結婚するであろう幼なじみ達との久々の会合に行くまいと思っている

 

 

いつまで経っても恋人のひとつも作らない26歳をきっと哀れんでるんだろう家族と、連絡をとりすらしなくなっている

 

 

 

そうやって、孤立しようとしている

 

 

いや

 

自分から孤立しようとしていると思っているだけで、本当はもうすでに孤立しているのかもしれない

 

 

嫌われる前に、ではなく

もう嫌われているのかもしれない

 

 

 

 

そしたらなんも差し支えのない行動だ

 

 

 

今日も変わらず2人がけのソファが2つもあるリビングでひとりぶんの手抜き飯をスッピンメガネで食べ、テレビを流しながらスマホで少女漫画を読んでいる

 

 

この生活がずっと続くんだろうか

 

 

いや、ずっとは続かない

 

あと36ヶ月

 

そしたら私は死んでしまうんだ

 

 

 

 

 

そう思えば明日も楽しく生きられる

 

 

 

 

 

 

死について

 

あと4年で死ぬし、と言っても今すぐ死んでしまってもどうでもいいし、とよく思っている。

 

 

 

 

 

でも、寿命で死ぬことを考えると、途端に怖くなる。

 

心臓がウワッと掴まれるような恐怖。

 

 

そうなったときは、死にたくない…怖い……と、寝返りを打つ。

 

 

今すぐ死んでしまったら、は怖くないのに、いずれ必ず来る死を想像すると怖い、というのは、矛盾していると思った。

 

理由を考えた。

 

 

今死んでしまっても怖くない。

 

そう考えるときは、自分がいなくなった後、周りの人たちはどう思うのかな…と、そちらに意識がいくから、怖くないのかもしれない。どこかドラマを見ているような気分。

 

 

いずれくる死は怖くて嫌だ。

 

そう考えるときは、自分が死んだら、何も考えることはできず、本当に終わりで、二度と目を覚ますことはなく、その後も続いてくる世界から真っ暗な無の世界へと切り離されてまう、永遠の孤独になってしまう、と考えてしまうから、とてつもなく怖いのかもしれない。

 

しかもそれは、誰しも必ずやってくる。

 

 

そんな時は決まって母に泣いて縋りたくなる。

 

でも、母の方がそれに近いかもしれないと思うと、へたにそんな恐怖をぶちまけられない。今も、昔も。

 

 

でもその次に考えるのは、母くらいになると、もう死への恐怖はなかったりするのかな、と。

 

 

近しい友人や父親が先に逝った世界へ、自分もと思えば怖くないと思っているかもしれない。わからないけど。

 

 

 

確かに、私は近しい人で亡くなった人がいない。祖父は会う前に他界している。それが唯一の近親者の死だ。つまり、経験がないのだ。

 

 

だから、死んでしまったら、この世にいる大好きな人たちと二度と会えなくなってしまう、永遠の孤独、と思うと、とてつもなく怖い。

 

 

けど、妹を亡くした友人が言っていた。

「妹がたどった道だと思えば怖くない」

 

 

わたしも、もし、近しい人がいなくなってしまったら、同じように思うのかな。

 

思うのかもしれない。

というよりも、後を追うのかもな、なんて。

 

 

 

 

今がずっと続けばいいのにな。

 

 

 

生きないといけない

 

母親に体調不良のことで電話をしたら、ストレスを疑われたらしく、

 

「○○じゃないといけないってことはないからね。なんでもいいんだよ。」

 

という言葉をもらった。

 

 

 

うん、娘は結構そういうところは柔軟だよ。

 

 

たぶん、あなたが思ってるのとは違うけど。

 

 

 

娘は究極のところ、生きてないといけないなんてことはない、とまで思ってるんだ。

 

 

最近は、自殺の何が悪いのかよく考えるけど、何も悪いことないでしょうと思うもん。

 

 

そりゃ周りに悲しみを与えるかもしれないけど、それは他人が悲しみたくないって思うだけの話であって、その人が自殺しちゃいけない理由にはならないでしょう。

 

 

自分の命だもの。

自分の適切だと思うタイミングで、閉じていいと思うのよね。

 

 

だから、お母さん

ごめんね、きっと私に無理しないでねってことだけど伝えたかったんだろうけど、私は常日頃、無理してまで生きないって考えで生きてるよ

 

 

いつか傷つけてしまうかもだけど

そのときはきっと私はいないから

今謝っとこう

 

 

ごめんね、ありがとう